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影之流と倭寇 引用掲載

 投稿者:fuusan  投稿日:2010年 5月 4日(火)19時27分35秒
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  陰流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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陰流とは、室町時代、文明十五年(一四八三年)頃、伊勢愛洲氏の一族・戦国武将愛洲久忠が編み出した武術の流派で兵法三大源流の一つである。「影流」とも。

「愛洲影流(愛洲陰流)」「猿飛影流(猿飛陰流)」も「影流(陰流)」の別称である。ただし、猿飛影流は久忠の子と言われる愛洲小七郎が陰流に工夫を加えて名乗った流派とされている。また、新陰流系の流派に愛洲陰流を名乗る流派が存在する。

目次 [非表示]
1 概要
2 陰流の起源に就いて
3 武備志の影流之目録
4 「陰之流 私」に就いて
5 陰流の伝播
6 参考文献
7 脚注
8 外部リンク

概要 [編集]
この流派を基に上泉信綱が新陰流(新影流)を開いた事で有名である。「撃剣叢談」やいくつかの系統の新陰流の伝書に依ると、上泉武蔵守に「影流」を伝授したのは二世愛洲美作守宗通(愛洲小七郎)となっている。新陰流では最初に学ぶ事になっている「燕飛」は陰流の「猿飛」であると伝承されている。

陰流自体は江戸時代以降伝承が少なく、文献上で元禄年間、松下見林の「異称日本伝」で紹介された「武備志」の「影流之目録」で「猿飛」「猿回」「山陰」が、天保年間刊行の「撃剣叢談」で「武芸原始 影流」として言及されていることなどがある。

陰流の起源に就いて [編集]
室町時代長享の頃(一四八七年頃)愛洲移香斎(あいすいこうさい)久忠が開いた剣術の流儀。愛洲影流ともいう。

愛洲移香斎八代の孫、平澤通有が元禄年間に記した家伝「平澤氏家傳」に依ると、愛洲移香斎久忠は伊勢国・愛洲氏の一族で、享徳元年(一四五二年)に生まれて名は久忠、日向守を称したという。生来刀法が得意で諸国を巡り、三五歳の長享元年に日向国鵜戸大権現の岩屋に於いて頭の上で香を焚く修行と三七日の祈祷を行って霊験に依り極意を授かったとある。

元禄元年に儒医松下見林が「異称日本伝」で明国の「武備誌」記載の「影流之目録」を一部紹介した。目録には「猿飛」「猿回」「山陰」等の太刀名がみられる。愛洲移香斎第二世愛洲宗通の門人上泉伊勢守信綱によってこれ等の一連の技は改良され、新陰流の「燕飛の太刀」として継承されている。愛洲移香斎久忠は天文七年(一五三八年)没、年八十七歳と記されている。

江戸時代になり、陰流は永禄七年の愛洲宗通・修理亮宛佐竹義重の起請文に依り、兵法指南として佐竹氏に仕え、同家中(江戸時代は秋田)に道統を残した。

参考文献

日高繁高 「本朝武芸小伝」
下川 潮 「剣道の発達」
大森 宣昌『 秋田平沢家蔵陰流剣術伝書の一考察』 立正大学教養部紀要(20)
新陰流源流考 岡田一男 陰流(猿飛)の源流についての考察。
武備志の影流之目録 [編集]
江戸時代元禄年間に大阪の儒医松下見林が「異称日本伝」で「武備志」所載の影流の目録等を紹介した。

武備志では、戚継光が辛酉の陣上(一五六一年)で和寇からの戦利品として「影流之目録」得たと記されている。

愛洲久忠が命名した「影流」は常陸国太守佐竹義重公の兵法指南として仕えた二世愛洲美作守宗通(愛洲小七郎)の時、「陰流」の「陰」に変わっている。[1]。

天保年間刊行の源徳修の「撃剣叢談」では「新陰流の古き免許状の記せる所を以って字を改む」として「武芸原始 影流」と「巻の一」に記載され剣法の源流とされている。
 
 
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